車検のコバックに協力していただき、Zenkenが自動車整備工場の成功事例をご紹介する当サイト【成功無双】。
茨城県の結城市で車を売っても車検に返ってこなかった状態だったという平間自動車。整備工場を新設するタイミングで車検のフランチャイズに加盟し、それが大当たり!
551台だった車検は、加盟6年で2,066台にまで拡大しました。その軌跡を、平間社長にお伺いしました。
車を売っても車検に返ってこなかった状態。当時の車検台数は551台。
「車検のコバック」では、1976年より、愛知県豊田市を中心に直営店を展開。
中西社長も加盟の決めてにした、アフターフォローと人材育成のノウハウを余すところなく加盟店に伝授することで、地域No.1の店舗を実現します。
平間社長 整備工場を新設するにあたり、車検台数を増やすために知名度があるコバックの加盟を考えました。
実際に加盟を決めたのは、コバック本部の豊田陣中店の見学です。コバックの車検システム自体が、スキームや教育プランが本当によくできており、作業の効率化ができるなと確信があったこと理由ですね。
平間社長 反発はありました。やりなれているやり方を変えることを好まない人もいるとは覚悟していましたが、整備士は半数に、フロントも2名退職しました。
コバック本部の協力で求人をかけ、入社してもらいました。そのときのメンバーが今の中心です。
平間社長 コバックのコンサルのアドバイスにより、インターネットでの広告・格安のオイル交換での誘致・ポスティングによるチラシの配布などを行いました。
一番効果が大きかったのは結城市の中心にサテライト店を出したことです。
平間社長 サテライト店をオープンした後は大変でした。急激に車検台数が増えて人手が足りない状態になり、残業が増えてしまったんです。
その時に中途で1人採用ができ、何とか乗り切ることができました。それもコバックのブランド力がなければ採用もできなかったと思います。
平間社長 車検台数が増えて、社内に活気が生まれました。仕事も安定して入り、経営も安定してきました。
平間社長 社員数も増え社内の規律をしっかりしたいと思います。
そのなかで個人個人が目標をもち責任をもって仕事に臨んでもらいたいと思います。
車検台数だけを求めるのではなくお客様に十分満足していただける会社にしていきます。
今でこそ思い出話にできる、フランチャイズ加盟直後の社員の大量離脱。
ここで後退や遅延させずに、使えるリソースを使い、業務を早急に正常に戻す努力を怠らなかったこと、また本部のコンサルの意見を忠実に遂行することで、自社を成功に導きました。
こう書くと簡単なようですが、当時の苦悩などを自分に置き換えると、決断しきれない所も大井のではないでしょうか。しかし、大きく舵を切るときには、ある程度の反対・反発、それに伴なう退職などは、つきもの。それを想定しておくと、心構えも動き方も変わるかもしれませんね。
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「車検のコバック」では、1976年より、愛知県豊田市を中心に直営店を展開。
中西社長も加盟の決めてにした、アフターフォローと人材育成のノウハウを余すところなく加盟店に伝授することで、地域No.1の店舗を実現します。
日本の様々な産業や企業を、コンテンツで支援するZenken株式会社が、自動車整備業界にスポットを当てて制作・運営しているサイトです。
当サイトでは、「整備士不足」「自動車製造技術の進化に伴う整備の難易度上昇」「若者の車離れ」など、多くの課題を抱える自動車整備業界で、現在成功している経営者のリアルな声を集めて掲載しています。
ぜひ、自社の課題と似た課題を抱えている会社の事例を参考にしてください。
経営者の声を聞くにあたり、車検のコバックに協力を依頼し、成功経営者のみなさまをご紹介していただきました。